2017年 02月 26日 ( 1 )

(マタイによる福音書 4章4節)    大谷唯信牧師



「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」



イエスは人が生きるのに一番大切なものとしてパンと神の言葉を上げている。パンとは勿論食べ物の事であるが広い意味ではこの世で得られる金、地位、環境すべてであろう。とてもわかりやすい。しかしこれ以上に大切なものとしてイエスは神の言葉をあげられた。だが何の事かわかりにくい。神の側からの出来事であるからその重要性、必要性の価値がわからない。故に捨て置く事になる。



腹が空けばパンを求め食う。これは当たり前でわかりやすい。犬や猫、何もわからない子どもでもわかる。今や世界は奪い合ってもパンを食おうとしている。ちゃんと食えるようになれば一人前との考えもある。食えなければ半人前、未熟者と見られる。しかし本当にそうなのだろうか



イエスはパンを否定しているのではない。パンだけではないと言われた。これに関心を寄せる人はどれくらい居るのだろうか。この世のあらゆる問題はこれを抜きにしてパンだけで生きているが故に起きているのだが。



これを知っているのが私達クリスチャンでありこれを証しするのが私達の神からの使命ではなかろうか。



神の言葉は聖書に記されている。イエスがパンと神の言葉の二つを並べている意味は深い。パンを食べれば体は生きる。頭で考えてパンの成り立ち、成分、造り方を研究し理解しそれだけで食べた気になる人はいないだろう。しかし神の言葉に対してそう言う人が沢山いるのだ。神の言葉は命のパンである。真の食物、即ち霊的食物なのだ。食べれば霊が生きる。霊的な力が与えられる。もし力が与えられないとするなら知的に理解し暗記しただけで食べてはいないのだ。マンネリ化しても同じ事が起きる。日々御言葉を食べると、理解、教訓レベルではなく自分の自我そのものが罪という自覚に砕かれ霊が生き霊の主に触れる。こうして霊性が深められていくのである。











[PR]
by oume-akebono | 2017-02-26 02:35 | 週報メッセージ