2009年 05月 31日
5月31日 ただ御聖霊に導かれて
(使徒行伝 2:3-4) 大谷 唯信 牧師
「また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ・・・」
何とも不思議な光景だ。復活のイエスが天に上げられた後、約束どおりに聖霊がくだったのである。その時の弟子達はイエスを失い不安と恐れの中で、ただイエスに命じられた「エルサレムから離れないでかねてわたしからきいていた父の約束を待て」とのお言葉に従うしかなかったのである。「間もなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう」との意味もほとんどわからなかったと思う。
しかし、ここに教会が成長する秘訣を見るのである。まず、御言葉に従いエルサレムに留まっていた事、次に弟子達をはじめ120名ばかりの一団であったが、「心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」ことである。当日も「みんなの者が一緒に集まって」とある。現実には彼らは厳しい状況に立たせられており、それらに対して全く無力であったのだ。無力だからこそ主を信じ御言葉に従い、一緒に集まり、心を合わせて、ひたすら祈ったと思う。教会は神の力によって前進するのだ。決して私達の力ではない事を覚えよう。
先週に続いて、今日、二人の方が信仰告白、バプテスマを受けられる。あと多摩川で受けたいと希望する、壮年、青年、学生等4人の方が準備している。さらにC.S.の子供3人が「バプテスマを受けたいです」と決意表明してきた。皆、真剣である。一人に「どうして?」と問うと、「私は、大谷先生やヨッチ先生のように多くの人にイエス様を伝える人になりたいのです!」その気迫に圧倒された。胸が熱くなった。御聖霊の暖かい導きを見たからである。
「また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ・・・」
何とも不思議な光景だ。復活のイエスが天に上げられた後、約束どおりに聖霊がくだったのである。その時の弟子達はイエスを失い不安と恐れの中で、ただイエスに命じられた「エルサレムから離れないでかねてわたしからきいていた父の約束を待て」とのお言葉に従うしかなかったのである。「間もなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう」との意味もほとんどわからなかったと思う。
しかし、ここに教会が成長する秘訣を見るのである。まず、御言葉に従いエルサレムに留まっていた事、次に弟子達をはじめ120名ばかりの一団であったが、「心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」ことである。当日も「みんなの者が一緒に集まって」とある。現実には彼らは厳しい状況に立たせられており、それらに対して全く無力であったのだ。無力だからこそ主を信じ御言葉に従い、一緒に集まり、心を合わせて、ひたすら祈ったと思う。教会は神の力によって前進するのだ。決して私達の力ではない事を覚えよう。
先週に続いて、今日、二人の方が信仰告白、バプテスマを受けられる。あと多摩川で受けたいと希望する、壮年、青年、学生等4人の方が準備している。さらにC.S.の子供3人が「バプテスマを受けたいです」と決意表明してきた。皆、真剣である。一人に「どうして?」と問うと、「私は、大谷先生やヨッチ先生のように多くの人にイエス様を伝える人になりたいのです!」その気迫に圧倒された。胸が熱くなった。御聖霊の暖かい導きを見たからである。
by oume-akebono
| 2009-05-31 18:01
| 週報メッセージ