2008年 09月 21日
9月21日 神はあなたを御存知である
(ヨハネによる福音書 14:1,18) 大谷 唯信 牧師
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」
人は誰でも思わぬ不幸と思われる出来事に遭遇する時がある。大きな事はもちろんであるが、小さな事であっても当人にしてみれば痛く辛いことなのである。「なぜ、自分だけがこんな目にあわなければならないのか。結局、誰も自分のこの苦しみ、この気持ちをわかってはくれない。」などと思ってしまうことがあるのではなかろうか。
しかし、人間はどんなに強そうであっても本質的には、皆、弱くさびしいのである。孤独である。正直に言えば、真っ暗で不安の中に生きているのだ。だだ、仕事とか、家族とか、目標とかで目の前の生きがいを見る事で心の灯を何とかつないでいる。
しかし、灯が消えた時、生きる意味が見えなくなった時、人は不安に陥ってしまう。生きる意欲すら失われ、闇の中に沈もうとする。その時こそである。主の御声を聞きなさい。主はあなたの痛みも悲しみも御存知なのだ。そういうあなたに主は語られている。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)と。
人は自分に力があると思っている間は神の御声が聞こえないのである。「目あれど見えず、耳あれど聞こえず」である。だから、イエスは「心貧しく飢え渇く者は幸いなり」と言われた。今こそ真実の心を神に向けようではないか。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」
人は誰でも思わぬ不幸と思われる出来事に遭遇する時がある。大きな事はもちろんであるが、小さな事であっても当人にしてみれば痛く辛いことなのである。「なぜ、自分だけがこんな目にあわなければならないのか。結局、誰も自分のこの苦しみ、この気持ちをわかってはくれない。」などと思ってしまうことがあるのではなかろうか。
しかし、人間はどんなに強そうであっても本質的には、皆、弱くさびしいのである。孤独である。正直に言えば、真っ暗で不安の中に生きているのだ。だだ、仕事とか、家族とか、目標とかで目の前の生きがいを見る事で心の灯を何とかつないでいる。
しかし、灯が消えた時、生きる意味が見えなくなった時、人は不安に陥ってしまう。生きる意欲すら失われ、闇の中に沈もうとする。その時こそである。主の御声を聞きなさい。主はあなたの痛みも悲しみも御存知なのだ。そういうあなたに主は語られている。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)と。
人は自分に力があると思っている間は神の御声が聞こえないのである。「目あれど見えず、耳あれど聞こえず」である。だから、イエスは「心貧しく飢え渇く者は幸いなり」と言われた。今こそ真実の心を神に向けようではないか。
by oume-akebono
| 2008-09-21 07:25
| 週報メッセージ