2008年 03月 09日
3月9日 信じた御言葉は神の力
(申命記30:14) 大谷 唯信 牧師
「この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。」
この言葉とは神の言葉であり私たちに対する約束の言葉である。
私達は常に礼拝に於いて、又、聖書を読む事によって神の言葉を聞いている。しかし聞くだけでは何も変わらない。もし、御言葉が「口にあり、また心にある」なら、あなたはこれを行う事ができると言うのだ。
即ち「心で信じて義とされ口で告白して救われる」である。「私にはできない」と言った瞬間、あなたは負けである。人は自分で語る言葉に支配されるからだ。それだけに命の世界では信仰の言葉が大切なのである。失敗を語れば失敗に支配され、恐怖を口にすればますます恐怖におののく事になる。だから私達は信仰によって大胆に勝利を宣言しようではないか。
多くの人が答を感じないと信じようとしない。又、信じられるようになったら信じようと言って何年も待っている人もいる。信仰は信じる事に決める意志的決断から始まるのである。心で信じて口ではっきりと宣言した時、神のいのちが動き出すのである。あのローマの百卒長は病気の部下のためにイエスに言った。「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」と。心で信じて口で宣言したのである。
イエスは「これほどの信仰は見たことがない」と非常に喜び感心され、「行け、あなたの信じたとおりになるようにと言われた。すると、ちょうどそのときに僕はいやされた」と聖書は語る。この信じた御言葉にこそ神のいのち、神の力が働く事を知ろうではないか。
「この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。」
この言葉とは神の言葉であり私たちに対する約束の言葉である。
私達は常に礼拝に於いて、又、聖書を読む事によって神の言葉を聞いている。しかし聞くだけでは何も変わらない。もし、御言葉が「口にあり、また心にある」なら、あなたはこれを行う事ができると言うのだ。
即ち「心で信じて義とされ口で告白して救われる」である。「私にはできない」と言った瞬間、あなたは負けである。人は自分で語る言葉に支配されるからだ。それだけに命の世界では信仰の言葉が大切なのである。失敗を語れば失敗に支配され、恐怖を口にすればますます恐怖におののく事になる。だから私達は信仰によって大胆に勝利を宣言しようではないか。
多くの人が答を感じないと信じようとしない。又、信じられるようになったら信じようと言って何年も待っている人もいる。信仰は信じる事に決める意志的決断から始まるのである。心で信じて口ではっきりと宣言した時、神のいのちが動き出すのである。あのローマの百卒長は病気の部下のためにイエスに言った。「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」と。心で信じて口で宣言したのである。
イエスは「これほどの信仰は見たことがない」と非常に喜び感心され、「行け、あなたの信じたとおりになるようにと言われた。すると、ちょうどそのときに僕はいやされた」と聖書は語る。この信じた御言葉にこそ神のいのち、神の力が働く事を知ろうではないか。
by oume-akebono
| 2008-03-09 17:04
| 週報メッセージ