2008年 02月 18日
2月17日 弱い時にこそ強い
(コリント人への第二の手紙12:9) 大谷 唯信 牧師
「『わたしの恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。』それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇ろう。」
神は私達が常に平安に満たされて生活ができるようにして下さった。
「わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネによる福音書14:27)
何という力強い言葉であろうか。これは信ずる者には誰にでも与えられる神の命からくる真の平安なのだ。世の嵐があなたに襲いかかっても、手も足も出ない状態に追い込まれても、神の守りと平安はあなたから失われる事はないのである。では、どうしたらそれを得ることができるのだろうか。
決して難しいものではない。まずイエスを自分の救い主として受け入れる事、信ずる事なのである。余りにも簡単なために多くの人は信じられないでいる。もっと難しく困難なものであるなら信じられるのかもしれない。年のいかない幼子でもわかる事である。この世の知恵者には馬鹿馬鹿しい事にも見える。この世の浅知恵が神の深さを見えなくしているからだ。
次にどんな苦境にあっても問題があっても信仰によって「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱い所に完全にあらわれる。」との御言葉を自分の心に響くまで宣言するのである。この世の人は強さで勝負する。しかし私達は弱さで勝負するのだ。弱さを悲しむのではなく、喜び感謝するのである。するとそこに神の力が大きく働いて下さるのである。
「『わたしの恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。』それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇ろう。」
神は私達が常に平安に満たされて生活ができるようにして下さった。
「わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネによる福音書14:27)
何という力強い言葉であろうか。これは信ずる者には誰にでも与えられる神の命からくる真の平安なのだ。世の嵐があなたに襲いかかっても、手も足も出ない状態に追い込まれても、神の守りと平安はあなたから失われる事はないのである。では、どうしたらそれを得ることができるのだろうか。
決して難しいものではない。まずイエスを自分の救い主として受け入れる事、信ずる事なのである。余りにも簡単なために多くの人は信じられないでいる。もっと難しく困難なものであるなら信じられるのかもしれない。年のいかない幼子でもわかる事である。この世の知恵者には馬鹿馬鹿しい事にも見える。この世の浅知恵が神の深さを見えなくしているからだ。
次にどんな苦境にあっても問題があっても信仰によって「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱い所に完全にあらわれる。」との御言葉を自分の心に響くまで宣言するのである。この世の人は強さで勝負する。しかし私達は弱さで勝負するのだ。弱さを悲しむのではなく、喜び感謝するのである。するとそこに神の力が大きく働いて下さるのである。
by oume-akebono
| 2008-02-18 18:05
| 週報メッセージ