2007年 12月 16日
2007年12月16日 マリヤの信仰 大谷唯信牧師
「マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。」 <ルカによる福音書1:39-41>
「マリヤは立って、大急ぎで山里へむかい」とある。御使いにより生まれるとの告知を受け、大きな驚きと恐れと不安に包まれた事であろう。
しかし、彼女はすぐに次の行動を起こした。伯母のエリサベツの所に走ったのだ。こういう時こそ交わりが一番必要なのであろう。自分独りで悶々と悩んだり心配するのではなく、彼女はまず信仰の交わりを求めたのである。しかも自分から「立って、大急ぎで」とあるように受身ではなく他人まかせでもなく自分の事として求めていく、これは信仰生活の基本として私達も心しておくべき事と思う。
だが、年もゆかない少女マリヤにどうしてこのような知恵と行動と態度が出てくるのだろうか。いちいち他から教えられ動いているのではあるまい。一つ言える事は彼女は真剣であったと言う事だ。真剣とは死をも覚悟する事である。
始め告知された時、「どうしてそんな事があり得ましょうか」と驚き、受け止める事はできなかった。しかしすべては神の御業である事を聞くと「わたしは主のはしためです。お言葉どおりになりますように」と引き受けたのである。と言う事はここから起こるべく一切の事、死をも覚悟したのである。人は死をも覚悟した真剣さに立つ時、生きる哲学が生まれて来るものだ。明るく生き生きとしてくる。マリヤの凛とした信仰に圧倒されないだろうか。
「マリヤは立って、大急ぎで山里へむかい」とある。御使いにより生まれるとの告知を受け、大きな驚きと恐れと不安に包まれた事であろう。
しかし、彼女はすぐに次の行動を起こした。伯母のエリサベツの所に走ったのだ。こういう時こそ交わりが一番必要なのであろう。自分独りで悶々と悩んだり心配するのではなく、彼女はまず信仰の交わりを求めたのである。しかも自分から「立って、大急ぎで」とあるように受身ではなく他人まかせでもなく自分の事として求めていく、これは信仰生活の基本として私達も心しておくべき事と思う。
だが、年もゆかない少女マリヤにどうしてこのような知恵と行動と態度が出てくるのだろうか。いちいち他から教えられ動いているのではあるまい。一つ言える事は彼女は真剣であったと言う事だ。真剣とは死をも覚悟する事である。
始め告知された時、「どうしてそんな事があり得ましょうか」と驚き、受け止める事はできなかった。しかしすべては神の御業である事を聞くと「わたしは主のはしためです。お言葉どおりになりますように」と引き受けたのである。と言う事はここから起こるべく一切の事、死をも覚悟したのである。人は死をも覚悟した真剣さに立つ時、生きる哲学が生まれて来るものだ。明るく生き生きとしてくる。マリヤの凛とした信仰に圧倒されないだろうか。
by oume-akebono
| 2007-12-16 00:31
| 週報メッセージ