12月31日 「今の時」を主と共に!
(エペソ人への手紙 4章1~3節) 大谷唯信牧師
「あなたがその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」
今年もいよいよ最後の主日を迎えました。今日は普段とは違い、時の流れを一段と厳粛な想いで過ごす時ともなりましょう。世界中が泣いても笑っても、時は確実に刻まれ過ぎ去っていきます。物理的、無目的な時の流れ、移り行くその中に、創造主なる神の愛――イエス・キリストの十字架の愛が今も自分に向けられていることを認めるなら、人生は一変します。
聖書は語っています。「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」と。「生まるるに時があり、死ぬるに時があり、…愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」と語り、結局、「働く者はその労する事により、何の益を得るか」と問いかけています。彼は誰よりも大いなる者となり大きな事業、多くの財産、あらゆる快楽を得たが、皆、空であり風を捕えるようなものと告白しています。しかし神を認め、信じ、神と共に歩む時、すべてのものが新しくされ、「神のなされることは皆、その時にかなって美しい」と告白するまでになったのです。心の霊的な目が開かれると物事を自分の側からだけで見るのではなく、神の側から見て自分の立ち位置が広く客観的にも見えるようになってきます。しかも「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見極めることはできない」(伝道の書3:1-11)と語っています。
神の世界を私達は見極めることはできません。しかし、信じることは幼な子でもできます。「神は霊であるからあなたがたも霊とまこととをもって礼拝しなさい」とイエスは言われました。心で信ぜよということです。
この時の流れの中にも、私達の生活の中にも主はおられ、内なる声となって導いておられます。「今の時」を主と共に、です。