10月15日 自分の愛に絶望し主を仰げ

(ヨハネの第一の手紙 4章18節)     大谷唯信牧師



「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。」



パウロは「十字架の言は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたし達には、神の力である」(Ⅰコリント1:18)と神の啓示によって語っている。ならばわたし達も、御言葉を通して神と向き合いその光によって自分の現状と向き合うべきではなかろうか。それは自分も御言の光に照らされて神の啓示(メッセージ)を受けるためである。



本当に御言がわたしにとって神の力になっているのか。「愛には恐れがない」「完全な愛は恐れを取り除く」「わたし達は互いに愛し合おうではないか」。御言葉に聞き、受け入れ従うとはわたし達もよく知っている。しかし実際にわたしは御言葉が自分の中で生き生かされ、以前より解放された勝利の喜びに満ちているのだろうか。その変化が親しい人達に自然に証しとなっていくのであるがどうであろうか。わたし達が主の働きの証人として立たせるために御聖霊が導き背中を押して下さるのだ。それらは初代教会の歩みに見る通りである。「イエス・キリストはきのうも今日も変ることがない」。わたし達の教会にも同じ恵みが与えられているのである。



もし、御言葉が自分の内に実現していないと見るならば正直にその問題点を探すべきであろう。主はそれも必ず示して下さる。その問題の一つは、あの「富める青年」に見る。求めてはいるのだが主の言葉に対して「小さい時から守っています」等と答えてしまう。頭で理解し知識で知っている正解を出しただけで現実の自分とは向き合っていないのである。誰にも起る事だ。



私達は愛そうと願い、又、愛している時ですら相手に対し反感や嫌悪、時には憎しみすら心の奥に秘かに感じる者だ。人はどんなに愛しても一分のすきもなくぴったりと一致する事はない。期待しても要求しても人間がちがうのだ。だから愛し合う(認める、許す、尊敬)。それ以上は支配しようとするエゴ()にすり替ってしまうのだ。聖霊に拠り頼め!そうすれば出来る!他に道はない。









































[PR]
by oume-akebono | 2017-10-15 16:43 | 週報メッセージ