10月22日 現代教会低迷の課題
(へブル人への手紙 11章8節) 大谷唯信牧師
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」
現在の諸教会は、何故低迷しているのか?その答えは実にはっきりしている。それは、御言葉と聖霊によっての、神に対する生きた信仰を失ったからである。現代の教会は見事に、狡猾なサタンの術中にはまっているのだ。即ち、知識と観念の言葉遊びの世界をつくり、自分なりの教会を形成しつつ、神の言葉という永遠の命の話題に興じている、正に富める青年のようである。
これは「善悪を知る知識の木」の実を食べたアダムの路線である。サタンによって眼がさえぎられ、真理が全く見えなくなっている。イスラエルの民の二の舞だ。「あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」(ヨハネの黙示録 2:4)謙虚にこれを認める所からの再出発が必要だろう。
これは他人事ではない。この世の社会も教育、経済すべてが真実から離れ、この世の闇に迷い込んでいる。肉が基準になっているからだ。私たちも、油断禁物。大きなことは言えない。パウロのように「わたしは罪人のかしらである。」との認識に立ち返って、新しく出発することだ。
幸い私たちの教会には「からし種一粒の信仰」は与えられている。主の恵みによって霊の命があるではないか。キリストの恵みを受けているではないか。だからこそ、新たな志を持って「あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、今生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求め」(ペテロの第一の手紙 2:1-2)ようではないか。
知識は人を驕らせ盲目にする。自らが盲目であると認めた所から霊的な目が開いてくるのだ。「心をつくして主に信頼せよ。自分の知識にたよってはならない、すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)これこそアブラハムの信仰の歩みである。信仰を知識で止めてはならない。知識は肉の殻となる。このレベルの教会では、魂は救われないことを知ろう。