9月10日 バプテスマの恵み

(コロサイ人への手紙 2章12節)   大谷唯信牧師



「あなたがたはバプテスマを受けて彼(キリスト)と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。」



バプテスマはキリストを信じる信仰の出来事として見るならば、単なるセレモニー以上のものである。神が天地を創造した奇跡に匹敵するほどの大きな出来事なのだ。「神は人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3:11)。即ち、天地を創造したと同時に人の心に永遠の天地を包み込む広大無変な思いを与えられたのである。「思う思い」とは永遠を思う「信仰」のことである。



人の心は汚れに汚れ目先のこと、自分の手で触れたものしか見えなくなってしまっている。何と小さく疑い深く狭い存在になっている事か。自分の小さな世界で独りぼっちのお山の大将である。本音は自信もなく寂しいものである。意味のない虚勢に生きているだけだ。だから「目を覚ませ」と聖書は語りかける。「愚かな者は心のうちに『神はいない』と言う」(詩篇53:1)何故か?「清くならなければ、誰も主を見ることはできない。すべての人と相和し、自ら清くなるように努めなさい」(へブル12:14)「心の清い人たちは神を見るであろう」(マタイ5:8)と聖書は語っているのである。



バプテスマを受けるという行動はイエスを救い主として信じる自分の信仰告白なのである。「心で信じて義とされ、口で告白して救われる」(ロマ10:10)つまり信じた事を口で告白し公にする、宣言する、この行動が伴う事が大切なのである。



バプテスマは肉から霊への新しい命の誕生であり新しい出発である。だからと言って急に完全になるのではない。神の子とされ永遠の命の世界に誕生したのだが霊的には赤ちゃんである。教会の交わりの中で成長し主の器、証し人として成長するのである。同時にサタンの働きは激しくなるので甘く見てはいけない。狙いは一つ、それは私達をイエスと教会から引き離す事だ。暖かく正しい論理で迫るから気をつけよう。





















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by oume-akebono | 2017-09-10 13:45 | 週報メッセージ