4月16日 復活は信ずる世界の出来事
(ルカによる福音書 24章 5~6節) 大谷唯信牧師
「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。・・・」
イエス様はわたし達の罪を背負い、十字架の苦しみと死のすべてを受けられ、墓に葬られたのでした。エルサレム中の大事件となり、多くの人々が見ていたのです。そして、三日目によみがえられました。ところが弟子達はこのよみがえりを信じなかったのです。どうしても信じられなかったのです。どうしてでしょうか。
それは自分の知識、経験、常識的な考え方ではあり得ないことだったからです。彼らは以前からこのことを聞いておりました。主は、「長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべき事を弟子達に示された」。するとペテロは、「主よ、とんでもないことです。そんなことはあるはずがございません。」と言ったのです。イエス様の地上に来られた目的は全人類の救いのために死に、よみがえり、罪とサタンを打ち破るためでした。
いよいよその肝心な時にペテロはその行く手に立ちはだかったのです。ペテロはイエス様を愛していたからです。そんなひどい目に合うなんてとんでもないと、必死に止めたのです。しかしイエス様に「サタンよ、引き下がれ。私の邪魔をするものだ。あなたは神の事を思わないで、人の事を思っている。」(マタイによる福音書16:21-23)と言われてしまったのです。どうしてこんなに食い違ってしまうのでしょう。ペテロは何とかしてイエス様を励まし、力になりたかったのです。
これはわたし達にとっても大切なことです。ペテロもわたし達も、地上からの者です。イエス様は上からの方です。地上の肉の者がどんなに力を尽くしても上からの霊の世界は理解できません。結局は冒頭の御言葉、「生きた方を死人の中にたずねてしまっている」のです。知識の限界です。この世の事は、知識で理解できるでしょう。しかし、霊の世界に対しては、信ずる信仰で受け止め従った時にのみ、わたし達の霊の目が開かれるのです。