3月12日 主の証人とは

(使徒行伝 1章8節)        大谷唯信牧師



「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて…地の果てまで、わたしの証人となるであろう」



主の計画はわたし達一人ひとりを「主の証人」にすることである。このことはクリスチャンであれば、当然のように理解していると思う。そこでそれをもう少し明確に捉えてみたいのだ。



私達はどのように主を見、意識し証人になろうとしているのだろうか。これは最も信仰の土台となる所であるから自らを明確にしておく事が必要だと思う。



「わたしはキリストを救い主として信じます」と信仰の告白をする。その時、証人としての責任も多少あると思う。そこで当時の弟子達の証人としての告白内容を見てみよう。「このイエスを神はよみがえらせた。そして、わたし達は皆その証人なのである」(使徒行伝2:33)「あなたがたは聖なる正しい方を拒んでいのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたし達は、その事の証人である」「イエスの名がそれを信じる信仰のゆえに…この足なえの人を強くしたのであり、…イエスへの信仰が彼を完全にいやしたのである」(使徒行伝3:14-16)又、「この人が元気になっているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺した主を、神が死人の中からよみがえらせたイエス・キリストの御名によるのである」(使徒行伝4:10)



即ち、「主の証人」としての告白は「よみがえりの主」、「死人からよみがえられた主」を告白する事にあった。「救い主」だけの証人では愛の人、優れた人、偉大な人のレベルであって理性的にも受け入れやすいが何の力もない。「主はよみがえられた」との信仰の告白にこそ理性を超えた信仰の霊的領域となって霊の火が燃え上がり神の力となっていく。よみがえりは理性と信仰が激しくぶつかるところだ。弟子達は復活の主に出会っても信じることができなかった。しかし主のよみがえりの告白にこそ聖霊が働いて下さる事を知ろう。


















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by oume-akebono | 2017-03-12 05:06 | 週報メッセージ