1月15日  すべては御聖霊の働き

(使徒行伝 4:13)       大谷唯信牧師



「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った」



あの弱かったペテロが驚くべき変身を遂げた。わたしは若い時ここに大きな魅力を感じたものである。同じような事で本当に悩んでいたからである。いつも失敗してイエスに叱られていたペテロ。常に熱心ではあるが思ったことをすぐ口に出し行動するが失敗となってしまう。良かれと思っての事が結果的には失敗となる。「サタンよ退け!」とまでの叱責を受けたり、ユダの裏切りに激怒し自分は心から忠誠を誓うのだがイエスに言われた通り、ユダと同じ道をたどってしまう。


どうしてこうなってしまうのだろうか。肉の次元でやっているからだ。イエスは霊の次元で語るのだがペテロは肉の次元でしか分からなかったのだ。どんなに熱心でも、心を込めても、否、正しい事でも「肉に従う者は肉の事を思い、霊に従う者は霊の事を思う」(ローマ8:5)。エッ!それは何だ?と思ったが「肉の思いは死であるが、霊の思いはいのちと平安である」(ローマ8:6)の通りであった。ペテロはそれが分からなかったのである。しかし、イエスの約束通り聖霊が注がれた。神の霊のいのちが弟子達に注がれたのである。その瞬間から彼らは創造された人間本来の霊に生きる者となったのだ。新しくされたその記録が使徒行伝である。ペテロは主に変えられた。


パウロも同じ新しくされた経験をした。「律法の義については落ち度のない者、ヘブル人の中のヘブル人、パリサイ人であり罪のない完全人間である」と誇り高い者であったがキリストの光に照らされて以来、自分を無きに等しい者、「罪人の頭である」と言う程の深い罪の自覚が与えられた。「わたしはキリストと共に十字架につけられ死んだ。生きているのはもはや、わたしではない。キリストがわたしの内に生きておられる」(ガラテヤ2:19-20)と告白し、私達への救いの道筋の一つとなっているのである。






















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by oume-akebono | 2017-01-21 15:54 | 週報メッセージ