元旦礼拝◆1月1日  生けるキリストの命に触れよ

(ローマ人への手紙6:6)  大谷唯信牧師


「わたし達はこの事を知っている。私達の内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたし達がもはや、罪の奴隷となることがないためである」





 いよいよ新しい年を迎え新しい希望に歩もうとしている。新しい希望とはキリスト御自身である。自分一人で歩むのではなく、キリストと共にキリストの中ですべてをキリストとの出来事と言う信仰を意識的に持って生活するのである。


 私達は自分一人、単独で、と言うものではないのだ。何故なら私達は皆、キリストのからだとしての教会につながりキリストの命を持つ共同体として互いに仕え生かし合う「神の家族」とされているからである。私達が受けたバプテスマはキリストと共に死に葬られキリストと共によみがえらされた恵みの信仰告白なのである。


 しかしこの信仰が生きた真実なものとなるには現実に直面する自分の内外から出て来る罪と向き合わねばならない。ローマ書7章の罪との戦いに信仰によって勝利する経験を得る必要がある。多くの信者が良きクリスチャンになるために自分の行い、自我の力で勝利しようとしてしまう。信仰によって戦おうとするが、実は自分の力で戦ってしまうのだ。


勝利すれば自我が誇り、負ければ敗北感、挫折感となる。自我が中心の信仰だからである。ここで浮き沈みしている者は実に多い。自分の信仰だからである。自分の決意に支えられている信仰はまだ入口である。その奥に入るには自分の全身全霊で取り組み、完全に敗北し剣は折れ矢も尽き果て「わたしは何と言う惨めな人間か」と絶望の中で主に委ねる、この時の全託こそが信仰、と言う出来事になるのである。信仰が頭での理解、納得ではなく全身で救いの確信となり「神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたし達のいっさいの罪をゆるして下さった」(コロサイ2:13)となるのである。自我の働きが尽きた時、御聖霊が働いてくださる。一切の罪が許された解放を知るものとなろうではないか。




















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by oume-akebono | 2017-01-07 15:03 | 週報メッセージ