12月25日  人は神の愛で生きる

(ヨハネの第一の手紙4:8,18-19) 大谷唯信牧師


「…神は愛である。…愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。…わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからである。」




神の愛はすべての罪を覆い、完全に赦し、平安を満たす命である。あなたがたもこの愛を受けようではないか。私たちはすでに神の愛に包まれているのだ。それを知らないだけである。私たちはいつの間にか自分で理解し、納得したものだけを受け入れるようになってしまっている。この世のものはそれでも良いが、その理解を越えている御方である。五感でわかろうとしてもわからない。それは胎児が自分の母親をその胎内で探しているようなものだからである。


胎児は7ヶ月も過ぎると完全に人間である。母親の心理状態がそのまま安心、不安の影響を与える。さらに生まれてからの8ヶ月間こそが一生の精神的土台となる基本的不信と基本的信頼の中心軸が決まると精神科医の研究によって実証されている。この期間の乳児にはまだ自我はないので、乳児からの問題ではない。母親をはじめとする環境のあり方による。即ち、離婚、争い、失業等による不安、憎しみ、怒り等による基本的不信体験の量が問題となる。


80~90%は生存困難、60~80%は思春期に内因性精神病を起こし易い。40~60%は神経症になり易い。健康な人は20~40%としている。即ち、基本的信頼の体験の強度が60~80%であれば、比較的育ち易いと言われている。


私は自分のことを見てみると、長いこと不安定な危うい時を過ごしたと思う。それは、生まれた時未熟児で命も危なくかなりの間保育器にいたと聞いているので、そのせいかなとも考えている。しかし、その不安定感があったからこそ、神を求め、神からの救いと恵みに浴したのである。


人は所詮、孤独で寂しい存在である。心に穴が開いているようだ。だから良かった。必死に求めるからだ。それは神の愛でしか満たされない。人は神の霊と同じく霊的存在であるから、神はイエスによって神の愛を命として与えて下さったのである。
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by oume-akebono | 2016-12-25 14:15 | 週報メッセージ