12月11日 心にクリスマスを迎えよう
(ヨハネの第一の手紙 4章15節) 大谷唯信牧師
「もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。」
今日も礼拝にて信仰告白とバプテスマ式が行われる。三人の方々だ。皆、それぞれの人生を歩んできて主イエスと出会った。何と素晴らしい事か。主イエスを信じる信仰によって救われたのだ。新しい人生が主と共に、そして教会の兄弟姉妹の交わりと祈りに支えられ、共にキリストの命をいただき神の家族とされたのである。バプテスマとはイエスを信じ救われた信仰を見える形で現した信仰告白そのものである。これはキリストの死と復活を現している。「わたし達は、その死にあずかるバプテスマによって、キリストと共に葬られ、キリストと共に復活し新しい命に生きる」信仰の告白である。
神は愛である。絶対的な完全な愛である。その神に似せて人間は造られた。即ち私達は神の愛によって造られ、私達も愛の存在として造られている。故に、人が生きるには空気が不可欠のように、神の愛が不可欠なのだ。ところが神を知らず認めず自らの力で生きる道を進んでいるのがこの世での現状である。
「人はパンのみで生きるのではない。神のことばで生きるの」とイエスは言われた。神のことばとは神の命、神の愛、それはキリスト御自身である。
人はこの世でどんなに成功しても、すべてのものを手に入れても、心の奥は孤独であり恐れと闇がある。神の愛以外のものでは絶対に満たされない心なのだ。人は神と同じく霊的存在として造られているからである。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。信じない者は、すでにさばかれている。」(ヨハネ3:16)
救われるためにはどうしたらよいのだろう。使徒ペテロは語る「悔い改めなさい。罪のゆるしを得るために、イエス-キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば聖霊の賜物を受ける」と。あなたの中にクリスマスを迎えようではないか。