12月4日 信仰を学ぼう
(マルコによる福音書 11章23~24節) 大谷唯信牧師
「その言った事は必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりになるであろう。何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすればそのとおりになるであろう」
主の命令と約束が示されている。「信じるならそのとおりになる」と2回も述べている。何と勇気が与えられることか。しかし「心に疑わないで信じるなら」と条件がついていると思わず「そんな強い信仰は自分には到底持てないのでは…?」と弱さを覚えるのではなかろうか。10人が10人とも、100人が100人とも私達をも含めて立ち止まってしまうのではなかろうか。
私達はこの自分の弱さをどのように克服したらよいのだろう。これを克服しない限り主の約束されているダイナミックな信仰生活は死ぬまで有り得ない事になる。これでは主を偽り者にする事であり、証しにもならない。私達は教会としてもここを突破し信仰による勝利を獲得しなければならないのではないか。
パウロに学ぼう。彼はどのように弱さを克服したのだろう。驚くことにパウロは弱さを嘆くのではなく「むしろ喜んで弱さを誇ろう」(IIコリント12:9)と語っている。彼も私達と同じように弱さを克服できるように祈ったのだ。ところが「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」との啓示を受けた。神は私達の弱さは全く問題にされていない、むしろ、「神の力は私達の弱いところにこそ現われる、強いより弱い方が良いと言われるのだ。
と言う事は祈り願うのは私達であるがこれに応えて下さるのは神であってわたし達の強さではないのである。強さどころか「わたしはキリストと共に十字架につけられ死んだ」と告白している。ゆえに「生きているのはもはやわたしではなく、キリストがわたしのうちに生きている」と信仰によっての告白である。私の内に私ではなくキリストが入れ替わって生きて下さる。それならば大胆にキリストと共に生きようではないか。