2014年 07月 27日
7月27日 御言葉が神の力となる時
(コリントⅠ 1:18) 大谷唯信牧師
「十字架の言は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたし達には、神の力である」
今日三人の子供達の信仰告白とバプテスマが行われる。すべてが信仰の出来事、教会の出来事、そして神の出来事である。創造主なる父なる神と独り子イェス・キリストの十字架の贖いの御業が私達の教会に与えられている。目に見えないが今やこの出来事を通して大いなる神の祝福が教会にまた子供とその御家族に豊かに注がれ、この世のものではなく神の永遠の愛に包まれているのである。
「十字架の言は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる(信ずる)者には神の力である」。さらに主は語られる「この言葉は、あなたにはなはだしく近くにあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行う事ができる」と神が保障して下さっておられるのだ。
御言葉をただ聞くだけの者となってはならない。信じて行動するのだ。信仰に立とうとするイスラエルの民に主は次のように語っておられる、「あなたもあなたの子供も共にあなたの神、主に立ち帰り、わたしが、きょう、命じるすべての事において、心をつくし、精神をつくして、主の声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたを再び栄えさせ、再び集め、たとい天のはてに追いやられても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ帰られるであろう。あなたを栄えさせ、数を増し、先祖たちよりも多くされるであろう」(申命記30:2-5)と驚くべき祝福を約束されているのである。
この神は今も私達教会に働いて下さっておられるのである。信仰は気分や感情の思いではない。信じる意志決断から始まるのだ。信じる信仰の出来事にしない限り何事も起こらない。しかし信ずる信仰によって一歩を踏み出す時、主は御聖霊となって私達に命を与え神の力となって下さるのである。
by oume-akebono
| 2014-07-27 20:00
| 週報メッセージ