2014年 10月 05日
10月5日 喜び喜べ共に喜べ
(ピリピ人への手紙 2:14) 大谷唯信牧師
「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」
私達は一寸した問題にも深刻に悩んだり、心の中につぶやきを持ったりする事が癖になっていないだろうか。ほとんど無意識に心の底に溜まっているヘドロのようなものだ。いつもは水は澄んでいるが、何かが水を動かすとたちまち水が濁る。上手に対処できる人はすぐに沈静化し普段に戻ることが出来るだろう。
しかしこの程度の事ならこの世の人でも当たり前にこなしている事ではなかろうか。
私達にはそれ以上に特別な特権が恵みとして与えられている事を思い出すべきである。だからパウロはどのようなことがあっても、「主にあって喜びなさい。」(ピリピ人への手紙 3:1)と語る。
「たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。」(ピリピ人への手紙 2:17-18)と死を超えた喜びである。
日々の状況にかかわらず、喜びの心を主に捧げる。これが礼拝であり、神への信仰による応答になり、力となるのである。私達の教会の週報には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5:16-18)と記してあるのもそのためである。喜びも感謝も祈りもなく、「もっと信仰を強くして下さい。リバイバルを・・・、あれを下さい、これを下さい。」と要求ばかりして、果たして神が応えて下さるだろうかと考えてみよう。
私達の人生の最高責任者は私達に命を与え、人生を与えて下さる創造主なる神御自身である。神は絶対的な愛をもって私達を生かし支え、実に神御自身の目的に沿って導いていらっしゃる。私達以上に神はわたしの事を考えて下さっているのだ。
今、あなたは困難にぶつかっているのだろうか。辛い出来事や人生の問題で悩んでいるのだろうか。今こそ「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、・・・信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。」(ヘブル人への手紙12:1-2)信仰によって、今こそ喜び、祈り、感謝の心を満たして主に捧げよう。
「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」
私達は一寸した問題にも深刻に悩んだり、心の中につぶやきを持ったりする事が癖になっていないだろうか。ほとんど無意識に心の底に溜まっているヘドロのようなものだ。いつもは水は澄んでいるが、何かが水を動かすとたちまち水が濁る。上手に対処できる人はすぐに沈静化し普段に戻ることが出来るだろう。
しかしこの程度の事ならこの世の人でも当たり前にこなしている事ではなかろうか。
私達にはそれ以上に特別な特権が恵みとして与えられている事を思い出すべきである。だからパウロはどのようなことがあっても、「主にあって喜びなさい。」(ピリピ人への手紙 3:1)と語る。
「たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。」(ピリピ人への手紙 2:17-18)と死を超えた喜びである。
日々の状況にかかわらず、喜びの心を主に捧げる。これが礼拝であり、神への信仰による応答になり、力となるのである。私達の教会の週報には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5:16-18)と記してあるのもそのためである。喜びも感謝も祈りもなく、「もっと信仰を強くして下さい。リバイバルを・・・、あれを下さい、これを下さい。」と要求ばかりして、果たして神が応えて下さるだろうかと考えてみよう。
私達の人生の最高責任者は私達に命を与え、人生を与えて下さる創造主なる神御自身である。神は絶対的な愛をもって私達を生かし支え、実に神御自身の目的に沿って導いていらっしゃる。私達以上に神はわたしの事を考えて下さっているのだ。
今、あなたは困難にぶつかっているのだろうか。辛い出来事や人生の問題で悩んでいるのだろうか。今こそ「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、・・・信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。」(ヘブル人への手紙12:1-2)信仰によって、今こそ喜び、祈り、感謝の心を満たして主に捧げよう。
by oume-akebono
| 2014-10-05 20:00
| 週報メッセージ