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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


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12月28日  御言葉に委ねる


(箴言3:5~6)        大谷唯信牧師



「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」




今年も一年が終わろうとしています。振り返れば当然、喜びや悲しみ等の出来事も
いろいろあったことでしょう。大切なことは、悔い改める事は悔い改め、反省する事は反省し、今やすべての事が神に覚えられ神の御手の中で許され、今も最善に導かれている事を信仰によって認め受け入れ、神を讃美することです。


主は言われました、「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない」、「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」と。クリスチャンは罪に対して非常に敏感になります。御言葉によって御聖霊が光を照らして下さるからです。ここでの問題は、罪の自覚が重くのしかかってきた時に、自分の力で対処しようとする事です。


自分の内面を自分で変え清くしようとしても出来ません。パウロも、「善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がない」、「欲していない悪は、これを行っている」(ロマ7:18-19)即ち、自分の意志とは関係なく善を嫌い悪を歓迎しているものがある。それは自分の中に宿っている罪であり、その罪の法則に閉じ込められているとまで自覚したのです。ここで自分の力で対処すべきと迫るのは、もはやサタンの働きであることを知るべきでしょう。


パウロは自分の力に絶望し「わたしは何というみじめな人間なのだろう」と呻き、―だがここで終わったのではなかった。自分の内には全くの絶望であるからこそ、パウロがしたのは上を仰ぎ、「だれが、この死のからだから救ってくれるのだろうか」と自分を手放し、主を仰ぎ望み、主の御手の中に身を投じたのです。生かすも殺すもすべて主の御手に投じたのです。自分の存在そのものを主に投げ出した。これが、「心を尽くして主に信頼する」ことです。主御自身が十字架上で叫ばれた、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」に通じます。「闇から光へ」の体験の中で御言葉に委ね、主を讃美したのです。
by oume-akebono | 2014-12-28 20:00 | 週報メッセージ