2015年 01月 25日
1月25日 神の遠大な救済計画
(ローマ人への手紙 5:18-19) 大谷唯信牧師
「ひとり(アダム)の罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとり(イェス)の従順によってすべての人が義人とされるのである」
奴隷の子が奴隷であるように罪の子アダムから出たすべての者はやはり罪の子なのである。誰でも人間である以上この罪の種は継承され自分の中に罪の種を宿している。これが時期と状況が整うと育ち力を発揮しわたし達を支配する迄になってくる。
しかし、人は神を認めず自らの罪も認識せず自分一人の力で正しく生きていると思っているのが現実だ。この世のすべての悪は外から来るのではない。ひとりひとりの中に宿っている罪から来るのである。アダムから脈々と続いている。自分はアダムも知らないし関係ない、単なる物語であって真実ではないと言う人もいる。自分は賢いと思っている人ほどそうなる。自分の小さな知識や自分なりの常識の尺度のみで世の中を観察しているからだ。しかも肝心な自分の中を見ていない。そう言う人は多い。自分の中を正直に謙遜に事実をみれば他人ごとではなく自分の中に自己嫌悪するほどの罪に気づく筈だ。そこで人は成長する。人の成長は自分の未熟さに気づく深さに比例するのだ。決して年齢でもなく頭の良さ、持ち物にもよらないのである。
人は誰でも神を信じないと自己に頼るしかない。良くても悪くても自己中心、エゴになるわけだ。このエゴそのものが罪の元凶、原罪なるものである。神は御自分を現わすために歴史の具体的な出来事としてイスラエルの民を選び共に歩み神の愛を現わすと同時に人間がいかに罪深いかのモデルとして明らかにされた。それでも無感覚な彼らに十戒の律法を与えた。守らせる為であるがさらなる本当の目的は人はいかに罪深くこれを守れないかを見せ自覚させるためであった。
そしてその罪から救うためにもう一人のアダム(イェス)を送り罪の贖いをして下さったのである。これは神の人類救済の遠大な御計画であり、ひとり子を給うほどの愛であり、これを信ずる信仰によってつながる者は誰でも救われるようにして下さったのである。
by oume-akebono
| 2015-01-25 20:00
| 週報メッセージ