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青梅あけぼのキリスト教会 omeakebono.exblog.jp

青梅あけぼのキリスト教会 日本バプテスト連盟 牧師 : 大谷唯信 副牧師 : 森元國文 〒198-0063 青梅市梅郷3-904-3 ☎︎0428-76-0634


by oume-akebono
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8月16日  私達のペンテコステ

(使徒行伝2:1-4)  大谷 唯信 牧師


「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて・・・一同は聖霊に満たされ・・・」

ペンテコステの奇跡の出来事である。「舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。」とある。ここにいた人々には実際にそのように見えたのであろう。

先週、私達の教会では7人の方々がバプテスマを受けた。今年になってから10人目である。一人一人に神のドラマがある。心の革命が起きているのだ。神の演出する人生のドラマである。今、彼らの中に、そして私達教会の一人一人の中に私はイエスの命の火種がともされて炎となりつつあるのを見るのである。

火種は小さくてもよい。大切なのはこれを信仰の目で見、認め、さらに燃え上がる事を願い、信じ期待する事である。世の諸教会にはペンテコステはあの時だけだ、今はそのような事はないと言い、炎に対しても、燃える炎とは何か、そんなものがあるのか、どのようにして燃えるのか等と研究、分析、議論ばかりが多い。

モーセも燃える柴に同じ姿勢の好奇心で近づく。しかし全て次元の異なる体験となった。「ここに近づいてはいけない。足から靴を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる地だ。」存在の全否定をされたのだ。ニコデモもそうだ。何かを知ろうと尋ねたのに「新しく生まれなければ・・・・」とやはり全否定。神に対しては「何かを知ろう」では何も分からないのだ。その時モーセはただひれ伏すのみとなった。これなのだ。現代人の、現代の教会の失っているものは。「

主よあわれんでください!」と祈りひれ伏す者に啓示は与えられる。ペンテコステ直前の弟子達も然り。私達もこれに続こうではないか。
by oume-akebono | 2009-08-16 19:30 | 週報メッセージ