(ヨハネ 4:14) 大谷 唯信 牧師
「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりかその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」イェスの言われた「水」とは神の命であり神の愛である。昔、どこにでもあったポンプの井戸を思い出してほしい。ポンプの中にある水はほんのコップ一杯である。水を求めてやって来た人がバケツを持ってこれを満たしてほしいと言ったとしよう。井戸をもつ人は「それは無理だ。ポンプの中にはコップ一杯分の水しかないのだから!」等と言うだろうか。まずいないであろう。何故ならそれは井戸だからだ。井戸は地下水につながっている。ただ、ポンプをこぎさえしたらいくらでも必要なだけ水は出てくる事を知っているからである。
人もこれと同じである。神は人を御自分に似せて愛によって愛の存在として造られた。神の愛と一つになって生きるようにされたのである。ところが人は神を離れ、これを認めず自分の中にある愛に立った。人はこれを自立であり強さであり個人の自由であるとして胸を張った。しかし現実は地下水を失った井戸であり神の愛を失った自己の愛に立つ自分である。自己の愛は神との分離のみならず人との分離、やがては自分との分離に走らざるを得ない道である事に気がついていない。自己過信と言う高慢な罪の姿なのだ。裸の王様の如く自分では全くそれに気づかないのが罪の特性なのである
。人は人生に於いて第一にしなければならないものを求めず、当然付随して来るべき雑多なものだけを求めている。確かに沢山の物を得た。しかし、人生に於いて真に意味を持つものとは何だろうか。本当に大切なものとは、第一のものとは、問う時ではなかろうか。自分のまわりの様々な問題、混乱、試練に満ちている世界だ。その根源的な原因は何か。聖書は語る「生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。それは、こわれた水ためで、水を入れておくことのできないものだ」(エレミヤ2:13)と。第一のものを第一にしよう。勇気がいる。愛は勇気でもあるのだ。
◆先週は初雪となり御岳から奥はかなりの雪が山をおおい、久し振りに美しい雪景色となりました。寒さは今も続いておりますがお元気ですか。本日も心から礼拝を捧げ、主を讃美いたしましょう。
◆本日の第二礼拝では、谷口圭太兄・相山和未姉の婚約式が行われます。御二人の上に、又御家族の上に神の豊かな祝福がありますよう祈りましょう。おめでとうございます。
◆執事の本選挙投票が、本日22日より次週29日迄行われます。選挙管理委員の説明をよく理解し教会員の方々はもれなく投票をお願い致します。〆切は29日午後1時です。
◆2月5日(日)は、定期総会が開かれます。執事選挙結果報告及び新年度活動計画です。会員の方々の出席をお願い致します。
◆本日予定の小羊会とセルリーダー会は次週になりました。
◆今週28日(土)に、教会教育研修会(東京地方連合主催)が中野教会で開かれます。出席予定者は、相山初美姉、相山和未姉、 相山知寛兄、山田淳子姉、浅沼鉉玉姉、
大谷唯信牧師です。さらに参加希望の方は申し出てください。
◆新年度の幼稚園、ももぐみ、ひよこぐみの園児募集をしております。皆様の御協力を続けてお願い致します。
◆祈祷会、聖書に親しむ会、セルグループへの参加をおすすめします。互いに霊的成長を求めてまいりましょう。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
マルコによる福音書12:28-34
「あなたの隣り人を愛せよ」
大久保真道兄
# by oume-akebono | 2012-01-24 14:07 |
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(ヘブル人への手紙 12:2) 大谷 唯信 牧師
「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、・・・信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」クリスチャン生活はこの世にあっては常に霊的な戦いの中にいる事を覚えよう。サタンはこの世を支配し、救われた私達のからだをも、エバを誘惑したように誘惑し、それは狡猾に理路整然と合理的な正論を以って語りかけてくるから気をつけねばならない。だから「神の武具を身につけよ」と御言葉は語るのである。
これは個人にではなく教会に語られている。神は御聖霊を弟子達に注がれ教会を誕生させ、イエスの十字架の福音を教会に託された。教会を世界に主の証人として建て上げていくのは神の御心なのである。私達はどのような時も教会の立場、キリストのからだとして立つべきである。
決して私個人ではない。サタンは教会は恐れるが個人は全く恐れない。サタンは常に教会から私達を引き離し、個人とさせようと躍起になっている。私達はすべての事を個人ではなく教会の出来事、信仰の出来事としようと言うのはそのためなのだ。「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」(ヨハネによる福音書15:5)教会への信仰を強く持とうではないか。
信仰はひとまかせでも受身でもない。主に従う、主につながる、愛する、許す・・・すべての事は信仰による主にあっての意志決断である。受胎告知を受けたマリヤの「お言葉どおりこの身に成りますように。」はからだを投げ打っての献身の決断であった。この信仰による意志決断に御聖霊は助け手として働かれるのである。
時に一寸した出来事で心が弱くなり、喜びも元気も失せ、信仰すらなくなったように感じる時があるものだ。そういう時はいつ迄もそういう自分と取り組んで、何とかしようとしてはいけない。自分から目を離してイエスを仰ぎ見て走る、即ち駄目な自分と向き合うエネルギーを自分の体を神に喜ばれる聖なる供え物として捧げる行動に向けるのだ。攻めの信仰に立つのである。
◆寒い日が続いております。お元気ですか。お正月も終わって、いつもの生活になりましたが、「今年こそ!」と新たな思いに胸ふくらませておられる方も多いかと思います。私達は教会生活を整え、これを土台とし互いに成長し続ける年といたしましょう。
◆本日の第一、第二礼拝は森元副牧師のメッセージで行います。感謝と共にお祈りください。
◆大谷牧師は本日、中野教会のメッセージのご奉仕に行っております。中野教会を覚えて、お祈りください。
◆次週の第二礼拝にて谷口圭太兄、相山和未姉の婚約式が行われます。
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等は交わりの良い時として、どなた様もご一緒にいたしましょう。
◆本日、昼食後に美化デーとしてクリスマスの飾りつけを片付けますので、皆様のご協力をお願いいたします。
◆CS教師会が開かれます。CS教師の方の
出席をよろしくお願いいたします。
◆本日、2012年度執事予備選挙の投票は午後一時締め切りとなりますので、よろしくお願いします。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
マタイによる福音書5:48
「あなたがたも完全なものとなりなさい」
谷口圭太兄
# by oume-akebono | 2012-01-16 00:36 |
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(エペソ人への手紙6:10-11) 大谷 唯信 牧師
「主にあって、その偉大な力によって、
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい」私達はもっと強くなろうではないか。確かに弱さを知っている事は大切である。弱さは神へと結びつけ信仰に至らせる大切な要素である。自分の弱さを認め正直に向き合える人は勇気のある人だ。時が来れば必ず大きな成長と共に強さを見るだろう。強さだけで生きている人は意外と弱い。弱さを知っている人の強さは本物になる。
「神の力は弱いところに完全にあらわれる。わたしは弱い時にこそ強い」(コリントⅡ12:9)と言ういのちの原理が働き出すからである。
だからパウロは弱さの中に逃げ込んでいるのではなく、弱さの中にありながら
「キリストのためならば、弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう」(コリントⅡ12:10)とまで言い切っている。これこそ受身ではなく「攻めの信仰」ではないか。とことん自分の弱さに徹し、正に全託となるなら神と一つとされ大胆な行動にも出られるのである。自分の力で強くなるのではない。キリストがわたしに宿っているのである。キリストのもとに来ても肉の自分の中に閉じこもったままの人がいる。これでは念じても祈っても何年たっても肉の人である。
パウロは言う、「イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを悟らないのか」と。キリストによって肉の自分を守ってもらうのではない。
「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。」(ガラテヤ5:24)だから
「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのはもはやわたしではない。キリストが、わたしのうちに生きているのである。」(ガラテヤ2:19-20)これがキリスト者の基本である。私達の戦いは悪魔、肉、この世に対しての戦いである。「神の武具」を用いるのだ。神の武具とは「四つの絶対」(正直、純潔、無私、愛)である。これらの実践によって敵を攻めるのである。それはキリストの愛によって愛し抜くことである。
◆あけましておめでとうございます。いよいよ2012年が始まりました。今年は私達教会にとっても、一人ひとりにとってもさらに豊かな祝福に満ちた年となると信じています。信仰を新たにし、主の御心を求め従って参りましょう。
◆本日は第二礼拝にて最初の主の晩餐式があります。私達のために十字架の死と復活によって救いと人生への勝利をも与えて下さっておられる事を感謝いたしましょう。
◆礼拝後の昼食、コーヒータイムは皆様と共に御一緒にいたしましょう。良き交わりの時として下さい。
◆その後、定例のいずみ会を開きます。活動計画、執事選挙について話し合いを持ちます。教会員の皆様は出席をお願いします。
◆執事予備選挙は本日より来週15日までに投票していただきます。本選挙は22日~29日午後1時までに投票になります。教会員1年以上の方には全員に投票していただきます。
◆本日午後3時より、伝道所ライフ・チャーチとの交流会が開かれます。短い礼拝のあとお互いが知り合うために小グループや全体の交わりで楽しい時といたしましょう。伝道所がさらに発展することを願いつつ、多くの方々が参加されますようお願い致します。
◆明日9日(月)は祝日ですので午前10時より午後3時まで私達教会の霊交会を開きます。年の始めでお忙しいと思いますが、私達の教会の成長を願って家族としての交わりの時を持ちましょう。どうぞご参加下さい。
◆藤井兄のお父様が昨年12月31日に亡くなられ先週5日に葬儀が行われました。ご遺族のためにお祈り下さい。
◆幼稚園は10日(火)が始業日です。お祈り下さい。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
申命記 6章 1-7節
「心をつくして主を愛す」
大久保真道執事
# by oume-akebono | 2012-01-09 23:38 |
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(ヘブル12:2) 大谷 唯信 牧師
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイェスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」実に先週の25日にクリスマス礼拝が行われ、一週間後の今日と言う主日礼拝が新年を迎えての元日礼拝となっている。何かお正月を迎える心の準備をする間もなく、いきなり新年の中に入り込んでしまったような感じである。しかし時は確実に一瞬も休むことなくうしろへと流れ去っていく。そして私達は常にやって来る新しい時と出会っているのだ。過去はすでに泣いても笑っても過ぎ去っていく。もう手は届かない。未来には希望があり期待がある。その時は必ず来るからである。
私達は常にやって来る新しい時と出会っているのだ。この出会いこそが運命を切り開く時であり人生を生きる場でもある。あなたはもはやひとりではない。キリストと共に生きているのだ。わたし達が戦う相手は三つある。サタンと肉とこの世である。今でもこの世の人々はこれらに支配され真実の目をくらませられ自覚のないまま罪の奴隷とされている。
しかしキリストは十字架によって完全に勝利して下さった。罪に対して無力な私達でも「イェスを神の子と信ずる者に勝利を賜って下さった」のである。キリストは言われた、「自分を捨て自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見出すであろう」(マタイ16:24)。
今年はここからさらに前進し信仰の深みに入ろうではないか。自分の罪と向き合う事は大切だが多くの人がこの罪を払拭しようと自分と戦ってしまう。これは肉の働きとなってしまうのだ。サタンの手ある。自分で何とか脱却するのではなく「一切の重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨て、信仰の導き手であり、完成者であるイェスを仰ぎ見つつ走る」(ヘブル12:1-2)のである。これは「四つの絶対」(正直、純潔、無私、愛)の実践によって戦い取れるであろう。
◆明けましておめでとうございます。2012年を迎えました。昨年の恵を主に感謝し心からの礼拝を捧げましょう。東日本大震災復興のためにも続いて祈りましょう。今年も国の内外共に厳しい情勢がうかがわれると思いますが、私達はしっかりとイェス・キリストと共に立ち、すべての事を信仰の出来事として受け取り、互いに祈り合い、助け合って主に従って参りましょう。
◆教会を支えるために多くの兄弟姉妹方が多くの働きを負い奉仕して下さっている事を心から感謝いたします。今年もあけぼのファミリーとして共に交わり神による成長の恵にあずかりましょう。今年は、特にひとりひとりが主の御臨在の経験を深め、喜びと平安を得る年にいたしましょう。
◆主の晩餐式といずみ会は、次週8日になります。
◆本日は午後3時より東京地方連合西地区合同新年会が花小金井教会で行われます。この教会は、献堂式はまだですが新しく建ったばかりの新会堂です。なるべく多勢の方々で行きましょう。あけぼの号も利用できますのでよろしくお願いします。
◆次週8日の礼拝後は、いずみ会があります。尚、昨年10月より発足しましたライフ・チャーチが私達の伝道所となっていますが、交わりを深めるため午後3時より合同で交流会を開きます。翌日の9日は午前10時~午後3時頃迄ですが、私達の教会だけの霊交会を、引き続き開きます。新年度に向っての私達の歩みを見据えながら新たな成長を願っての霊交会です。
◆7日(土)は定例の執事会です。
◆本日の夕拝はありません。
# by oume-akebono | 2012-01-03 23:03 |
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(ヨハネ第一 4:18-19) 大谷 唯信 牧師
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。わたしたちが愛しあうのは、神がまずわたし達を愛して下さったからである」 クリスマスとは「神がまずわたし達を愛して下さっておられる」ことの出来事である。どれほど愛して下さっておられるのか。「独り子を給うほどに」である。それも神は「わたし達の罪のためにあがないの供え物として御子をおつかわしになった。ここに愛がある」と語られている。
もし、あなたがこのキリストを受け入れ、自分の罪を悔改めバプテスマを受けるならばあなたは救われ、罪許された者として神の子とされ神の愛が豊かに注がれる事になるのだ。神の愛は完全な愛である。私達はこれを信じ受け入れようではないか。新しく人生が始まる事になる。愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。これが現実にあなたの中に起ってくるのである。
この世は恐れと疑いに満ちている。国と国が、人と人が恐れ、疑い、争い、怒り、憎しみの縄目から出られないではないか。何とか平和のバランスは取っているがいつ爆発するかわからない状態がこの世であり私達ではなかろうか。互いにつかず離れずの安全距離を保っているに過ぎない。しかし、神は人間を本来、神の愛そのもので創造されたのである。だから私達の中に切に愛を求める心があるのだ。愛は神から出るものなのである。
しかし、人は神を認めず信ぜず、信ずるのは自分だけとなり神中心の本来の姿から自分中心のエゴと言う聖書では罪と言う姿になってしまっている。今や全ての人が生まれつきそうなっているのでそれが当り前で別に悪くはないと思っている。しかも自分は他よりも正しいと思っているのだ。これがエゴの特徴である。エゴは自分の罪に対して盲目にする。神の愛は目を開くのである。イェスが来られた。あなたの心をノックしておられる。これが本当のクリスマスなのである。
◆今年は今年最後の日曜日が25日となりクリスマス礼拝の日となりました。今日は合同クリスマス礼拝です。皆様、お元気ですか。真冬の寒さが続いています。はやいもので、今年もあと一週間で終わりとなります。一年間の感謝の思いをもって心からの礼拝を捧げましょう。
◆昨日も夜、キャンドルサービスを行い、クリスマスイブの礼拝をいたしました。多くの方々と共にイエス様の誕生を祝い心からの讃美のできましたことは何よりの喜びです。皆様の祈りと御協力を感謝いたします。
◆本日は礼拝後、この場所でほんの短い時ですがお茶とケーキの時間をもちます。どなた様も御一緒に楽しい時を過ごしましょう。
◆尚、その後愛餐会として昼食を共にいたしますので御一緒できる方は参加して下さい。教会ではいつもこのような交わりを大切にしています。互いにお誘いしあって交わりにお入り下さい。
◆今週の31日(土)は午後8時より今年一年の感謝を分かち合い共に讃美し、感謝の証し、祈りの時間といたします。
◆次週は「元日礼拝」です。新年を迎え11時より第1、第2の合同礼拝です。御家族での出席を歓迎します。
◆尚、午後3時より西地区合同の新年礼拝が花小金井教会で開かれます。西地区の各教会から参加があります。私達の教会からもできるだけ大勢で出席したいと思っています。あけぼの号も使いますので御利用下さい。花小金井教会は新会堂を建てたばかりです。
◆明日26日は西地区の牧師と御家族のクリスマス祝会が隣りの福生教会で行われます。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
テモテへの第一の手紙 4章12節
「わたし達の戦い」
大谷唯信牧師
# by oume-akebono | 2011-12-31 15:37 |
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(テモテへの第一の手紙4:12) 大谷 唯信 牧師
「言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。」わたし達の戦う相手はサタン(エペソ6:11)と肉(エペソ2:3)とこの世(ヨハネの第一の手紙5:19)の三つである。いずれも「信仰と正しい良心」を持って戦うならば勝利を得る事ができる。「この世に勝つ者は誰か、イエスを神の子と信ずる者ではないか」と確信をもって御言葉は宣言しているのである。それなのにクリスチャン生活を続けているうちに、礼拝も奉仕も祈りも何か空しくなり、初めの喜びや救われた解放感もなくなり疲れてしまう・・・。こんな経験なかったろうか。
そうなっても驚く事ではない。誰もが通る道である。特に熱心に熱く取り組んでいる人がなるのだ。いい加減にやっている人はいい加減だからそこまで落ち込んだりはしない。どう言うことか。当然なのだがまだ霊的に幼いのである。赤ちゃんなのだ。霊的に赤ちゃんでも元々能力のある人ならリーダーシップもありスピーチもうまい。仕事もできる。どんな奉仕も讃美も中々の出来ばえでこなしてしまう。しかし霊的には赤ちゃんなのだ。元々の肉の力でやっているのである。
肉は必ず行き詰まる。その時、人やまわりのせいにするのではなく、自分の肉の問題である事に気がつかなければいけない。そうすれば本当の霊的成長への求道が始まる。ここで大切なのは、自分の力で戦うのではなく、あの放蕩息子のように本心に立ち返り父のもとに帰る事である。サタンの誘惑の目的は神からの独立であり分離させる事なのだ。気をつけねばならない。キリストのための奉仕がいつの間にか肉の働きとなり自分のため、自分の栄光となってしまうのである。しかも困るのは自分でそれに気がつかない事なのだ。
そこでここに四つの言葉を紹介しよう。これをツールとして自己吟味し実践するのだ。絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛である。冒頭の御言葉に立ってこれを実践してみよう。この実践こそが主につながる事となり、御霊の実が与えられるのである。
◆今年もいよいよ残り少なくなって参りました。急に寒くなりましたが皆様お元気ですか。何かと忙しくなりますが、こうして皆様と共に今日も礼拝できます事、感謝いたします。今日も主の御降誕を覚え心からの讃美を捧げ礼拝いたしましょう。
◆昨日はC.S.クリスマス会が盛大に楽しく行われました。先生方、スタッフの方々も準備のため朝から御奉仕下さいました。60余名の小学生、10数名の幼児、そして先生方で約100名もの方々の参加でクリスマス会が行われました。皆様のご協力とお祈りの支えを深く感謝いたします。
◆礼拝後のコーヒータイム、昼食等、良き交わりの時としてどなた様も御一緒いたしましょう。お互いにお誘いして下さい。
◆本日は子供達の小羊会が開かれます。下級生クラスは2時~2時30分、上級生クラスは2時30分~3時30分迄を予定しています。図書室にお集まり下さい。
◆本日は美化デーです。ご協力下さい。
先週は幼稚園での美化デーがあり、礼拝堂をはじめ全建物を掃除しワックスを掛けて下さいました。
◆クリスマス行事予定
中高生クリスマス会 12月23日(金)午後2時~4時
クリスマスイブ礼拝 12月24日(土)午後7時~8時
クリスマス合同礼拝 12月25日(日)午前10時~11時30分
礼拝後ティーパーティをします。互いに良い交わりの時といたしましょう。クリスマス案内用のカードがあります。ご活用下さい。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
マタイ福音書 1章 18-25節
「神われらと共にいます」
大久保真道執事
# by oume-akebono | 2011-12-23 22:29 |
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(ペテロ第一5:2) 大谷 唯信 牧師
「しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい」心ほどいいかげんで当てにならないものはない事御存知だろうか。自分のその時々の気分や状況でコロコロ変わるのだ。よく「心正しく」「心を強く」「心を入れかえて」等を聞くが心にはそんな力はない。
心は肉につくものだからである。エゴなのだ。人は「自分なり」とか「個人の自由」とか言いつつ心に振りまわされているのだ。
「心はよろずの物よりも偽るものではなはだしく悪に染まっている。誰がこれをよく知ることができようか」と聖書は語る(エレミヤ17:9)。しかし、心もからだも神が与えて下さったものではないか。この心を強く正しく用いることは神の御心ではなかろうか。その通りである。神は私達に永遠の救いを与え、同時にこの世に勝利し力強く生きるようにして下さっておられるのである。だが多くの人は勘違いし、自分の心配りのみで生きているのが現状だ。だから心の病が国民病のように蔓延しているのである。心の用い方を知らず自分流でやっているからである。私達は神によって造られたのであるから自分流ではなく神のやり方で生きなければ成果はでないのだ。
では、自分流とは何か、又、神のやり方とはどんなものなのか。これは一番大切な基本的なことだが意外にわかっているようでわかっていない人が多い。自分流とは、自分の心で頑張っている事である。心で頑張っている人は実を結ばない。肉の働き(ガラテヤ5:19-23)だけになるからだ。自分の持っている力だけで取り組んでいる者はすぐ行き詰る。クリスチャンでも同じだ。神のやり方とは、本心に立ち返り、本心で取り組む事である。心配りの前にそれこそ理屈抜きの問答無用の真実な自分に立つ事であろう。冒頭の御言葉がそれである。又「自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔改めて本心に立ちかえりなさい」(使徒3:19)ともペテロは語る。あの放蕩息子も本心に立った時新しく生きる力に動かされた事を知ろう。
◆急に寒くなり雪が降ったりで驚きましたが皆様お元気ですか。12月に入ると何かと忙しく追われる様な気持ちです。
こうして今日も共に礼拝できますことを感謝いたします。礼拝は神への最高の奉仕であり、最高の祝福を受ける時です。共に心から神を讃美いたしましょう。
◆昨日は幼稚園のクリスマス恒例のクリスマス・ページェントが羽村のゆとろぎ小ホールで行われました。200名満席限定で入れなかった方には申し訳ありませんでしたが、子供達の熱演には胸打たれ、主の御降誕の喜びと子供の大きな成長に心からの感動の時となりました。
◆礼拝後のコーヒー、昼食等、どなた様も良き交わりの時として御一緒にいたしましょう。
◆昼食後にC.S.教師会があります。C.S.クリスマス会の最終打ち合わせがあります。スタッフ、お手伝いの皆様も御出席ください。
◆C.S.クリスマス会は今週17日(土)です。受付開始は13:15から、開会は13:30から、終了は15:30の予定です。
◆クリスマスイブ礼拝(キャンドルサービス)は、24日(土)午後7:00~8:00
合同クリスマス礼拝
は、25日(日)午前10:00~11:30
その後愛餐会です。
案内用のハガキがありますのでお友達をお誘いするために活用してください。
<本日の夕拝 午後7:30~8:30>
ヨハネによる福音書 6章28~33節
「人は神と共に働く」
森元國文副牧師
# by oume-akebono | 2011-12-23 22:25 |
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(コリント人への第二の手紙 12:9) 大谷 唯信 牧師
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」弱さを喜べ!弱さの中に打ちひしがれてはならない。主があなたの戦いを戦っておられるのだ。今、直面している諸問題を恐れることはない。「あなたを強くして下さるキリストによって、何でも出来る」からである。主はあなたの力であるばかりではなく、あなたのそばにおられる。あなたは一人ではない。それを信じ、味わうのだ。御聖霊があなたを慰め支えられる。
パウロは困難に直面するごとに、弱さを覚えるごとに強くされたではないか。これはパウロが強かったのか。そうではない。弱かったのだ。弱いからこそ自分ではなく主を見上げたのだ。自分の戦いではなくて「主の戦いである」との「主の出来事」としそれを信ずる「信仰の出来事」として留まる時は留まり、前進する時は大胆に前進したのである。
パウロは弱さの中で示された「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」と。勝利を得るとは、あなたが勝利するのではない。キリストがあなたに代わって勝利するのである。あなたが十字架で死ねば、キリストが代わって働いて下さる。あなたが働くのではなく、キリストがあなたを通して働くのである。
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ人への手紙2:20)しかし、サタンは今迄通り私達を動かそうとする。あらゆる戦いを起こさせ、失望と弱さに押しやり、私達を神に委ねさせず、自分の力で解決に走り回るよう仕向けるのである。聖書を読み祈るが、自分の力で戦おうとさせる。そうすればサタンは勝利するからである。
間違ってはいけない。自分の力で打ち勝とうとしてはならない。勝利とは、あなたが死に、キリストが生きることである。神は御子御自身に戦わせたいのだ。私達は弱さを誇ろう。
「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」(コリント人への第二の手紙12:10)