(使徒行伝 4:13) 大谷唯信牧師
「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。 」
あの弱かったペテロが驚くべき変身をとげた。いつも失敗してイエスに叱られていたペテロ。常に熱心で思わず思ったことをすぐに口にし、行動してしまうペテロ。良かれと思っての事が結果的には失敗となってしまうペテロ。イエスから「サタンよ、退け!」とまでの叱責を受けたり、ユダの裏切りに激怒し、自分は死に至っても忠誠をと心から誓いつつ、自分もイエスを裏切ってしまうペテロ。どうしてこうなってしまうのだろう。
肉で歩いているからだ。イエスは霊の次元で語るのだが、受け取るペテロは肉の次元でしか分からなかったのだ。どれほど熱心でも、心をこめても「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思う」。(ローマ人への手紙 8:5)「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである」(ローマ人への手紙 8:6)の通りであった。ペテロにはそれがわからなかったのである。
しかし、約束通り聖霊が注がれた時、その瞬間から事態は全く変わった。霊に生きる者となったのだ。その記録が使徒行伝である。ペテロは主に変えられた。否、ペテロの中にキリストが生きたのだ。これがクリスチャンの醍醐味であろう。聖霊の働きである。この聖霊は二千年を経た今も教会に与えられている。イエスを信じる者には、そして聖霊を信じる者には、既に与えられているのである。
私達も肉ではなく聖霊に満たされる恵みを受けようではないか。悪魔は私達の肉に働きかけ、動かそうとしている。アダムに働きかけた悪魔、イエスを荒野で誘惑した悪魔は、今も私達に迫っている。悪い事よりも良き事を通して敵意、争い、分裂、分派を起こす力となってくるから気をつけよう。肉は情と欲と共に十字架につけてしまおうではないか。(ガラテヤ人への手紙 5:24)
誰でもこの願いを求めつつ歩むならば、主は必ず応えてくださり、今度はあなたが、人々から不思議に思われるあなたとなるのである。